予科練平和記念館

いつもなら全員でどどっと押しかけ、学芸員の方にお話を伺っていたところですが、今年は団体見学ではなく通常見学とさせていただきました。

日本史や世界史を履修する生徒が中心

零戦の実物大模型。これにのって戦ったのかと思うと、迫力はあれど恐怖しか感じられない生徒たち。

まずは外に展示されている零式艦上戦闘機、通称「零戦」の模型を見学。

一見すると実物大で迫力もあってカッコイイ印象を受けますが、これに乗って命の取り合いをしていたんですよね。撃ち合うだけでなく、逃げ惑う人を撃ったりとどめを刺したり、考えていくうちに恐怖感が芽生えてきます。

確かにかっこいいし、主力の戦闘機とくれば海軍パイロットを目指す予科練生たちのあこがれの的だったとのことですが、「カッコいい」、「乗りたい」ではすまされない気持ちが生まれます。

人間魚雷ー回天

人間魚雷回天。これに乗って海に散っていった若者たち。

人間魚雷、魚雷に人間が載って操縦するタイプです。そのまんまです。爆薬を積んだこの水中ミサイルに人が乗って、操縦して、敵艦に体当たりします。命と引き換えに形勢逆転を狙う、戦時中しか生まれない発想。いくら愛国心が強くても、今の私たちにできることだろうかと生徒とたちと考えました。答えは出ませんでしたが、一人一人、持ち帰るものはあったと思います。

雄翔館

戦車

雄翔館に向かう途中、自衛隊の戦車が並んでいます。ちょうど、何かの始業の時間だったようで合図のようなラッパのメロディーも聞こえてきました。

男の修行

雄翔館の入り口には山本五十六元帥の銅像があります。

山本元帥と言えば

やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

苦しいこともあるだろう。

云い度いこともあるだろう。

不満なこともあるだろう。

腹の立つこともあるだろう。

泣き度いこともあるだろう。

これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。

男の修行

という名言がありますね。割と深く、日本人に根付いているのではないでしょうか。

今も時々、「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。」という言葉を思い出します。その時、山本元帥のことを一緒に思いださない不届きものですみません(;^_^A

失われた若い命

雄翔館の中には特攻隊として散っていった若者たちの言葉が残された家族や子供、奥さんに送った手紙が展示してあります。手紙のほかにも乗っていた飛行機の部品や人によっては身に着けていたゴーグルなど。

持ち主の写真や年齢も書かれていて、見ると高校生くらいの年齢で入隊し、10代か20代でこの世を去っています。写真は20代前半とも思えない貫禄のある人もいれば、生徒と変わらない、本当にそこに座っていそうなあどけない少年の姿もありました。

一人一人、心に刺さるものがあったようです。

シベリア抑留

予科練平和祈念館ではいつもの展示に加え、ちょうどシベリア抑留の展示をしていました。

戦争中に捕虜だった日本人がシベリアに労働力として連れていかれ、マイナス40度の極寒の地で木々の伐採作業など強制されたそうです。

ラーゲリと呼ばれる収容所で暮らし、模型には煙突があったので暖炉があったのでしょうか、木で組まれた寝床は隙間風が入りとても寒く、食利用も十分与えられず、与えられた薄っぺらい防寒着の袖の部分と食料であるわずかな黒パンを見張りの兵士と交換した人もいたり、作業前に点呼を取るときに整列するのですが、その間、足踏みしていなくては寒くて耐えられない、さらに、毎日、人が足りなくなり点呼がなかなか終わらないという極寒の地獄で暮らしたのだとか。

こういうことは歴史の勉強が嫌いだから、知りませんではすみません。
戦争は悲劇しか生まないというのはきれいごとではなく本当のことです。

改めて今回もいってよかったと思いました。

おまけ

空襲の映像などVRで再現したら、もっと、実りのある見学になったのではないかと思うツクガク生でした。みんなにはそのくらいの力をつけて卒業してほしい。

今のうちから技術と向かい合って知恵を絞っておくと、きっと社会で活躍するときの武器になる。

今できなくても、想像するだけでもいいよね😊

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